最近のミャンマー情勢と日・ミャンマー関係

 

                                                     平成15年4月

                                                外務省アジア大洋州局

                                                   南東アジア第一課

 

T.ミャンマー概況

 

. 基礎指標 

    正式国名:ミャンマー連邦(89年に国名変更)

    面  積:68万平方km(日本の約1.8倍)

    人  口:約4800万人(99年度推定)

  首  都:ヤンゴン

    人  種:ビルマ族(69%)、その他シャン族カチン族等多数の少数民族

    言  語:ミャンマー語

    宗  教:上座部仏教(90%)、キリスト教、回教等

    政  体:軍事体制(暫定政府)

  元  首:タン・シュエ国家平和開発評議会(SPDC)議長

    一人あたりのGDP:約300ドル(99年推定)

 

. 主要年表 

  1044年     ビルマ族による統一王朝(パガン王朝)が成立。

 1886年     英緬戦争に敗れ英領インドに編入、英国植民地に。

          (なお、1943年から1945年までは日本占領時代)

 1948年     英国より独立。

  1962年      ネ・ウイン将軍がクーデターにより政権を掌握。以後、                              

             ビルマ社会主義計画党(BSPP)一党支配による閉              

                    鎖的な社会主義政策を推進。

  1988年     民主化運動が発生。スー・チー女史が民主化運動のリー         ダーに。

 1988年 9月 国軍がデモを鎮圧し国権を掌握し、国家法秩序回復評                                                             

                    議会(SLORC)政権を樹立。

             スー・チー女史は、国民民主連盟(NLD)を結成。

 1989年 3月 政府は公式に「ビルマ式社会主義」を放棄し市場経済  

                    へ移行。

       6月 国名を「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」に変更。

       7月 スー・チー女史に対する自宅軟禁措置を開始。

 1990年 5月 総選挙を実施。NLDが圧勝。

  1995年 7月 スー・チー女史に対する自宅軟禁措置を解除。

 1997年 7月 ASEANに加盟。

 

 

U. 内政

 

1.軍事政権 

   

  1988年、長期にわたる経済困難やビルマ社会主義計画党(BSPP)  の一党独裁支配に対する不満を背景に全国的な反政府運動が盛り上がり、国  内が混乱に陥ったため、同年9月国軍がクーデターを決行、国権の最高機関  として立法、行政及び司法の三権について最終的な権限を有する国家法秩序  回復評議会(SLORC)政権を樹立した。

 97年11月、SLORCは、ミャンマーの国内の法秩序や治安は十分回  復し所期の目的を達成したとして自ら解散し、代わりに国家平和開発評議会  (SPDC)を設立した。SPDCはタン・シュエ上級大将及び他の国軍最  高幹部13名により構成されている。

 

2.90年総選挙と国民会議 

  90年5月に行われた総選挙は、スー・チー女史率いるNLDが8割以上  の議席(485議席中392議席)を獲得し圧勝した。

  しかし、軍事政権側は、民政移管には、新憲法制定が前提であるとして、  政権移譲を拒否。93年1月以降、国会議員代表、少数民族代表等約700  名の代議員から構成される「国民会議」を開催し、途中休会をはさみながら  新憲法の基本原則を審議。一方、NLDは95年11月国民会議のボイコッ  トを発表。これに対し、国民会議開催作業委員会は、86名のNLD所属代  議員全員を除名。その後、国民会議は、NLDを欠いたままで審議が続けら  れ、これまでに15章からなる予定の新憲法のうち第6章まで審議を終了し  たが、96年3月以降休会の状態が続いている。

 

3.現政権とスー・チー女史との対立と対話への展開 

  95年7月の自宅軟禁措置解除以降、スー・チー女史はNLD総書記と    

   して政治活動を再開。

  95年11月にNLDは国民会議をボイコット。96年5月には、党大

  会を実施し、NLD独自の憲法起草等を決定。更に9月にも党大会開催

  を企画するも、政府は道路封鎖やNLD関係者の拘束によりこれを阻止

  した。

  97年に入り、政権側はスー・チー女史を外したNLD幹部との対話を

  模索。NLD側は右を拒否。

  98年8月、NLDが独自に国会を召集しようとしたことを契機に、現

  政権との対立が激化。現政権はNLD関係者の大量に拘束。

  2000年9月、現政権はスー・チー女史の地方訪問を阻止。ヤンゴン

  に送還し行動制限措置を課した。

  ・2000年10月、現政権とスー・チー女史との間で対話を秘密裏に開始。

 

 ・2001年1月、「対話」開始の事実を対外公表。

  2002年5月、スー・チー女史に対する行動制限措置を解除。スー・

 チー女史は「信頼醸成の段階は終わった。国民の将来のため、政権側と

 協力する用意がある」旨コメント。

 

4.少数民族問題 

 ミャンマーには、大別すると、ビルマ、シャン、カレン、カチン等の8大民族が存在するが、細分すると135の民族が存在(ビルマ族は全体の約70%)。一部少数民族は膨大な自治権要求等を掲げて中央政府と対立、独立以後少数民族反乱軍の問題が発生。                                    

 現政権は、随時各少数民族反乱軍との間で話し合いを実施し、17ある組織の内、16の組織との間で停戦合意を実現。政府は帰順してきた少数民族反乱軍の基盤地域の開発事業を優先的に行っている他、国民会議への参加も認め、その取り込みに努力。未だ帰順していないのは、カレン民族同盟(KNU)のみ。KNUとの間でも水面下で交渉が行われていると言われているが、KNUの活動するタイ・ミャンマー国境地域では散発的に戦闘が発生している。

 

 

V.経済

 

1.社会主義から市場主義経済へ 

  88年に成立した現政権は、市場主義経済への転換を掲げ、法整備や外国投資の受け入れ等を実施。92-95年度には年平均成長率7.5%を達成したが、97年以降、主要輸出品である米の不作やアジア経済危機の影響等により伸び悩み。不透明な経済運営も大きな障害。

 

2.各分野の概況 

(1)経済成長

   ミャンマー政府は、2001年度の経済成長率は未発表であるが、2000年度の経済成長率として13.6%との数字を挙げている。なお、99年度の経済成長率として政府は10.9%と発表しているが、投資の伸びの鈍化等の実態からみて現実には6%程度の成長ではないかと一般に推定されている。一人当たりGDPについては約300ドルと推計される。

(2)財政・金融・物価

   97年以降、歳出抑制策により財政赤字幅の拡大は歯止めがかかっている(財政赤字の対GDP比は99年4.6%、2001年2.8%(目標))。為替レートの公定レートと実勢レートの乖離は拡大傾向にある(公定:1ドル=6.6チャット、実勢:1ドル=約1000チャット)。

     2001年に入り、タイ国境での戦闘に伴う国境封鎖を機に輸入品の価格が急騰し、2002年4月時点で消費者物価指数は前年度同月に比べ57.6%の伸びを記録した。コメを含む食料品全般で価格が高騰しており(食料品物価指数63.6%増)、非食料品も軒並み35%以上と急騰を続けている。

(3)貿易・投資

   政府は、慢性的な外貨不足に対して、97年度より一連の輸出入統制策を中心とした外貨管理政策(輸入制限の強化、外国送金規制、外貨の集中管理、輸出産品の国家管理の拡大、輸出税適用品目の拡大)を導入しているが、外貨準備高は一向に改善していない(2000年末223百万ドル)。慢性的な貿易赤字は、輸入抑制策により増加に歯止めがかかり(2000年516百万ドル、対前年比41.3%減)、国際収支赤字は、貿易赤字を移転収支(国外労働者からの送金)及び外国直接投資がファイナンスすることにより克服している。しかし、極端な統制経済や不透明な政策決定を忌避して、外国投資がミャンマー市場を敬遠しており、公式統計ではかなりの経済成長を実現しているものの、実体経済は極めて低迷していると言える。

 

3.基礎生活分野の整備及びインフラ整備の立ち遅れ 

(1)ミャンマーにおいては、電力設備、通信設備、道路・港湾・鉄道設備等基礎的なインフラ整備が遅れており、電力については首都ヤンゴン市内においても慢性的な電力不足が深刻な社会問題となっている。(一人当たりの電力設備容量は、0.022kwでタイの10分の1以下、ベトナムの3分の1以下)

(2)基礎生活分野の立ち遅れも顕著であり、保健・医療分野についていえば、UNICEFの報告(2001年)によれば、5歳未満死亡率はASEAN原加盟国平均の約4倍、妊産婦死亡率がASEAN原加盟国平均の約1.6倍となっている。医師、看護婦数の不足や医療施設の不備等が指摘されており、ミャンマーにおいては保健医療分野に限らず基礎生活分野全体につきその整備の遅れが問題となっている。

 

 

W.国際社会の対応

 

1.国 連 ・・・特使の派遣等積極的な働きかけ

(1)総会・人権委員会

  総会(90年〜)及び人権委員会(89年〜)において毎年、ミャンマー

 の民主化及び人権問題に関する決議案の審議・採択が行われている。

  総会決議に基づき、ミャンマーの民主化に向けた働きかけを行うため、

 事務総長特使が任命されており、99年にはマレーシア人のラザリ特使を

 任命。同特使は、これまでに9回ミャンマーを訪問、政権側とスー・チ

 ー女史と双方に接触し積極的な対話仲介活動を実施。

  国連人権委員会においても、同委員会におけるミャンマー人権問題の審

 議に資するため、国連人権委員会特別報告者を任命。96年以降特別報告

 者の訪問を拒否していたミャンマー政府も、2001年4月、10月及び2002

 年2月には、ピニェイロ人権特別報告者(ブラジル出身)の同国訪問を

 受け入れている。

(2)国際労働機関(ILO)におけるミャンマーの強制労働問題

  97年にミャンマーの強制労働に関する審査委員会を設置。ILO第29

 号条約(強制労働禁止)にそって改善措置をとることを勧告。

  99年、ILO総会は、ミャンマーのILO主催の会議等への出席停止措  

 置等を決議。

  2000年6月、ILO総会において、ILO加盟国・他の国際機関に対し

 ミャンマーとの関係を見直すことを求める内容の決議が採択され11月

 30日より実施。

 

2.欧米諸国 ・・・制裁アプローチ

 ミャンマーの民主化・人権状況に強い懸念を表明し、経済協力停止、武器禁輸などのほか、次のような制裁措置をとっている。他方、対ミャンマー投資額では大きな割合を占めている(主に天然ガス開発関係。対ミャンマー累積投資額順位では、英2位、米5位、仏6位。1位はシンガポール、日本は9位。)。

 

 米:96年10月、査証発給制限。97年4月、米国企業による対ミャンマー新規投資禁止。国際機関を通じた麻薬対策協力を除き経済協力も停止。但し、近年はUSAIDを通じたタイ国境に居住する難民に対する食糧、医薬品支援は実   施。更に、人道分野で新たな支援を行う動きも存在。

 EU:96年10月以降、加盟各国の「共通の措置」を実施(6ケ月ごとに見直し)。これまでに4回トロイカ・ミッションを派遣(99年7月、2001年    1月、2002年3月、及び2002年9月)。最近の政治情勢の動きを受けて、    EU外相理事会は2001年10月、若干前向きな措置(ASEMへの外相招待、国        際水路機関(IHO)への加盟支持、HIV/AIDS関連の国連の活動に対する援助        等)をとることを「ミャンマーに関する結論文書」として発表するも、        制裁措置を大幅に変更する状況にはないとの立場。

 

3.豪 州 ・・・制裁アプローチから対話アプローチへ転換

  97年以降、それまでの欧米諸国同様の厳しい対応から、ミャンマー政府による前向きの動きを正当に評価し、政府との対話を通じて働きかけを行う方針に変更。99年よりミャンマーにおいて人権ワークショップを開催。なお、豪州も我が国と同様、現政権とスー・チー女史の双方との関係を強化しており、2002年10月、ダウナー外相がミャンマーを訪問し、双方に直接働きかけを行った。

 

4.ASEAN ・・・建設的関与政策

(1)97年7月、ミャンマーはASEANに加盟。

(2)ASEAN各国は、内政不干渉を旗印に、経済面を中心とした交流を進めつつミャンマーの民主化を促していくという「建設的関与政策」を推進。98年には、内政事項であっても率直に議論すべきであるとする「柔軟関与政策」がタイ等から提案されたが、ASEAN全体の方針とはならなかった。

(3)他方で、マレーシアなどは個別にミャンマー政府に対する様々な働きかけを行っており、最近では、タン・シュエSPDC議長のマレーシア訪問(2001年9月)、マハディール・マレーシア首相のミャンマー訪問(2002年8  月)などの動きが注目される。

 

5.中 国 ・・・政府と緊密な関係

  欧米諸国が経済援助や武器供給を停止する中で、緊密な要人交流、無利子借款や武器の供与、軍人の訓練等を実施し、ミャンマー政府と非常に強い関係を築いている。他方で、ミャンマーの民主化・人権に係る問題については発言を差し控えている。

 

 

W.我が国の対ミャンマー外交・・・積極的対話外交

 

1.政治関係 

(1)我が国は、第二次大戦を挟み長い歴史と深い友好関係をミャンマーとの間で築いてきており、両国国民相互間の国民感情も極めて良好。我が国は、こうした伝統的な友好関係を基本として軍事政権成立後も種々対話を実施。また、ミャンマーの安定と発展が、東アジア地域全体の安定と発展に資するとの考え方の下、積極的な外交を推進。

(2)我が国は、ミャンマーの現状につき、民主化や人権状況の改善が必要であり、そのためには、ミャンマー政府を孤立させるのではなく、政府とスー・チー女史を含む民主化勢力との関係を維持し、双方に対し種々の働きかけを行っていく必要があるとの立場。 

(3)2002年8月に川口外務大臣がミャンマーを訪問し、タン・シュエ議長等の政府要人及びスー・チー女史の双方に対し、民主化に向けた最近の動きを評価した上で、両者間の対話の更なる進展につき働きかけを実施。

(4)また、2001年11月及び2002年11月に開催されたASEAN+日中韓首脳会議の際には、小泉総理がタン・シュエ首相と会談を行い、ミャンマーの民主化等につき直接働きかけを行った。

 

 (※) なお、2002年8月の川口大臣のミャンマー訪問においては、十数年に亘って対立を続けてきた政権側とスー・チー女史がいきなり民政移管に向けた政治対話を開始するよう促すよりも、その前段階として双方が関心を持つ国民全体の民生向上についての対話を働きかけた方が現実的との考え方に基づき、両者に対し、「人道分野における政策対話を進めた結果、ミャンマー国民が必要とする基礎生活分野を中心とした優良案件につき支援要請が出てくれば、これを前向きに検討する」との方針を伝え、両者間の対話を促した。

 

2.経済関係 

(1)貿易 対日輸入 187.1百万ドル(前年比14.5%減。2001年)

      対日輸出 102.5百万ドル(前年比4.5%減。2001年)

(2)対ミャンマー投資(89年以降の累積投資許可額)

            約213百万ドル(23件。2001年末時点)

            (諸外国中第9位)

 

3.経済協力 

(1)基本方針

   88年以降95年まで原則的に停止していたが、95年(スー・チー女史の自宅軟禁解除等の動きあり)以降、「同国の民主化及び人権状況の改善を見守りつつ、既往継続案件や民衆に直接裨益する基礎生活分野の案件を中心にケース・バイ・ケースで検討の上実施する」方針としている。

 

(2)2001年度に実施した主な無償資金協力案件

  *「母子保健サービス改善計画」(5.97億円:ユニセフ経由)

  *「シャン州北部コーカン地区電化計画」(2.16億円) 

  *「シャン州北部コーカン地区道路改修機材整備計画」(5.84億円)

  *「ヤンゴン市内病院医療機材整備計画」(7.92億円)

  *草の根無償;93件、総額約3.28億円

 

(3)対ミャンマー経済構造調整支援

   99年11月、日・ミャンマー首脳会談において、小渕総理(当時)よりタン・シュエSPDC議長に対し、経済改革に協力を行う用意がある旨伝え、これを受け対ミャンマー経済構造調整支援を開始。これまでに日・ミャンマー合同タスクフォース・メンバーによるワークショップ会合を5回開催(2000年6月、12月、2001年11月、2002年7月、及び2002年12月)。合同タスク・フォースは、「財政・金融」「産業・貿易」「ICT」「農業・農村」の各部会に分かれ作業を実施し、2002年12月の第5回会合において最終報告書案について意見交換が行われた。最終報告書は近く完成する予定。

 

                                                   (了)