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 Vol.2 2007.11.14 「ヤンゴン市民の足、バス」 文 MARLAR(ビルマ名)さん 本会会員 
 一般的に使われる交通機関というのは、世界各地によって異なる。旅好きの私であるが、旅先では「郷に入れば郷に従え」とばかりに、その国ならではの交通機関を利用するようにしている。
 
 場所はミャンマーの首都、ヤンゴン。私は八年前、この町に長期滞在していた。ここでは、ごく一部の富裕層以外の交通手段は、専らバスである。ご存知のようにこの国は、発展途上国であるがゆえに、鉄道網がほとんど発達していない。一応、ヤンゴン環状線という市内を一周する列車があるが、一周約三時間かかるうえに、三時間に一本程度の本数で、しかも時刻表は無いに等しい。その点、バスにも時刻表は無いだろうが、本数は列車と比べ物にならない程多い。それに、ヤンゴン市内ほぼ全域網羅しているであろうと思われる。
今は少なくなった古い車体のヤンゴン市内バス(写真/栗原)




 実はこのバス、難点があり、路線表たるものが無く、行き先標示等もすべてミャンマー語なので、外国人には到底乗りこなせない。 
 しかし私は、学生時の専攻の関係でミャンマー語を理解できるのでヤンゴンでは常にバスを利用していた。実際、ヤンゴン市内なら、行った事が無いところであっても、どこでも行ける自信はあった。タクシー、という手もあったが、こちらにはメータータクシーというものが無く、交渉しなければならない。気の短い私には、これが又面倒くさくて、インド人のドライバーに出くわした時は、がめつい彼らに対して常にけんか腰だった。
 その人々の足のバスであるが、トラックバス(あの後ろに人が鈴なりになって立ち乗りしているもの)、エアコンバス(名前とは裏腹に、冷房が効いていたためしが無い)、ミニバス(幼稚園の送迎車みたいなもの)などの様々なタイプがある。日本の中古バスを塗装せず、そのままの状態で使っているものにもよくお目にかかった。阪急バスの文字を掲げたバスに乗ったこともある。もっと古いのになると、木の床からそのままサイドブレーキが飛び出しているのもあった。危なくないのかと心配すると同時に、この状態で走り続けていることに、小さな感動を覚えた。
 最近は、トラックバスのような古い型のものはさすがに減っているらしい。料金についてだが、一般的に言われていたことは、エアコンバスは二〇チャット、その他はすべて五チャット(一九九九年時・レートは1チャット≒0.3円)ということだったが、これは間違いで、バスの車掌(集金する人)や運転手によってまちまちのようだ。私の経験からだと、エアコンバス・ミニバスは二〇チャットで、そのほかは大抵一〇チャットであった。尚、目的地の遠近によっても変わる場合がある。

 このバスの実態であるが・・・端的に言うなればカオス(混沌)という言葉かぴったりくるだろう。無法地帯である。まず乗り込んだ瞬間感じる、東南アジア独特のすえたような匂い。汗臭さ。実際車内は不潔極まりない。日本では(というより世界中で)常識の「車内禁煙」 というルールはない。隣に座っている人の煙がのどに絡みつく。吸殻は床にポイ捨て。キンマ(噛みタバコ)を噛んだ後の赤い唾液は窓からペッ。何故か、ウズラの卵の殻・ひまわりの種までが床に散らばっていたりする。
 そして、日本の満員電車さながらの混み具合。当然他の乗客と肌が触れ合い、日本人の私にとっては、不快指数一二〇%である。が、ミャンマー人はこれが慣れっこなのだろう、全く意に介していないようだ。日本で言う乗車マナーの概念は、ゼロに等しい。(国が違うのだから当たり前なのかもしれないが)席を譲り合うことなどまずない。それどころか、停留所で客が降り席が空くと、皆はまるでいす取りゲームのようにそれに食らいつく。私は礼儀正しき日本人、そう思い初めこそは躊躇していたが、だんだんとその習慣に飲まれ、最終的には他人を押しのけて座ることがとてもうまくなった。こうして見るとかなり無作法ではあるが、そうでもしなければ体が持たないのだ。道は悪い、車も古い、おまけに運転は下手くそで、立っているだけが精一杯なのだった。

 私が体験したバスの中での出来事を幾つか挙げてみる。
ある時、混みあった狭い昇降口で思いっきり足を踏まれた。「痛いっ!」とミャンマー語で大声で叫んでみたが、当の踏んだ本人が(この人に何が起こったのだろう?)と他人事のような顔で私を見つめる。状況を理解していない。腹が立つから思いっきり足を踏み返した。日本では考えられない行為だが、ここは無法地帯。しかも混みあっている。目には目を、である。しかし相手はびくともしない。足に神経が通ってないかのようだ。私は思った。「ここでは混みあうし乗車マナーは無いに等しいから、肌の密着や体のぶつかり合いは当たり前なのだろう。それにそんなことを気にしていたら、この国では乗車できない。」よし、私もこの心意気でバスに乗りこもう。
 そう思っていた雨のある日、今度は泥だらけの汚いパナッ(草履)で男性に力いっぱい足を踏まれた。おかげで私の足はドロドロ。がまたしても相手は知らん顔。またまた腹が立ったので、今度は相手のロンジー(腰巻)で、私の汚れた足をこっそりと拭いてやった。
 こんなこともあった。乗っていたバスが急ブレーキをかけた。その瞬間、私の背後にいたしわくちゃのおばあさん、バランスを失い「アマレー!」(キャー、に相当する)と叫び、私の頭を鷲掴みにした。それでもまだ足りなかったのか、今度は私の髪の毛まで引っ張ってきたのだ。思わず「何すんねん!」と関西弁で怒鳴ってしまったほどだ。でも、仕方のないことかもしれない。そのバスには手すりもつり革も無かったのだから。
 つり革といえば、一人の人がひとつのつり革を持つのが常識的だが、他のつり革が空いているのに人と同じつり革を何の気なしに持つ人が多かった。日本人なら、意識せずとも人の持っていないつり革を探して持ち、できるだけ他人との接触を避けようとする。どうやら彼らにとって、つり革も手すりも人間も同じくひとつの「モノ」でしかないようだ。そういう中で自分も「モノ化」しないように必死となって、髪の毛をつかんだり、足を踏んだりするのだろう。こう書くと言い方が悪いが、彼らは実に生命力にあふれている。日本の朝のラッシュで、眠たそうなサラリーマンが人波に押されているのとは似ているようでわけが違う。バスの中でも必死で自己主張しているのだ。
 一つ、理解できないことがあった。それは車中で女性が赤ん坊にお乳をやるのだ。いくら無法地帯のバスの中といえども、公衆の面前だ。人前で乳房を晒すのである。この光景にはしばしば出くわした。ミャンマー人女性は貞操観念が強く、ロンジーも常に足首のラインで、ひざ上スカートでも着ようものなら、町中から注目をあびる。聞いたところによると、彼女たちは「結婚すれば変わる」(女を捨てる、ということか)らしい。
 更にもっとびっくりしたことは、込み合うバスの後部座席で、男女がいちゃいちゃしながらディープキスをやってのけたことだ。これも3回ほど見たことがあった。日本人以上に大胆である。何が彼らをそうさせたかは分からないが、ミャンマーという国の見方が変わったのは言うまでもない。

 こんな車内の風景であるが、一つ、気に入っている流儀がある。それは「もし立っている人が大きい荷物を持っていたら、そばに座っている人が声を掛け、その荷物をひざの上に載せてあげる。」というものだ。私もこれにはお世話になったし、お返しにしてあげたこともある。実に仏教徒であるミャンマー人らしい心配りではなかろうか?これは、日本でも機会があればやってみようかと思っている。
 また、こういうこともあった。トラックバスで向かい合って座っていた青年が、持っていたお菓子を食べようとしていて、目が合った私に「おひとつどう?」と分けてくれたのだ。見ず知らずの人にでも気軽に声を掛けてくれるミャンマー人の人なつっこさに感服した。

 こうやってその国の一般的な交通機関を利用することは、その国の生活や人々の考え方・生き様を一目で分からせてくれるとてもよい方法であると感じる。
 よく私が周りのミャンマー人に「普段はバスで移動している」と言うと、少しでも裕福なミャンマー人は「 本当かい?俺なんかあんなの汚くて乗る気しないよ。」と言う。しかし、このバスを乗りこなせたら、これほど便利なものはないと感じるようになっていた。タクシーに比べたら桁違いに安いし、本数も多い。そして何より乗車ごとに、このようなドラマを見ることができるのである。それは、日本では見ることができない、想像もつかない展開になっている。今後も私がヤンゴンに滞在する時は、いくら金銭的余裕があっても、そのドラマ見たさにバスに乗り続けるであろう


※本文は、ミャンマー総合研究所の情報誌「Mynmar Focus」Vol.14(2007-4)に掲載されておりますが、本ホームページへの掲載は、ミャンマー総合研究所様のご了解をいただいております。


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