ミャンマー経済の実情と問題(一)
桐生 稔

ミャンマーは軍政となってから早くも11年を経過、このまま21世紀を迎えることになりそうだ。軍事政権というのは如何なる理由があるにせよ決して正常な政治体制ではない。どのような形にせよ「軍政でない文民体制」が一時も早く確立されることが、この国の経済発展の基礎条件であり、現下の困難を乗り切る最も有効な手段であることを、最初に指摘しておく。97年にASEAN加盟を果たしたにもかかわらず、同時期に発生したアジアの経済危機は、ミャンマー経済に重大な影響を及ぼし、経済困難を一層深刻なものにしている。ミャンマー経済の実情と問題点について説明していきたい。
失速しはじめた経済発展
軍政の選択した市場経済化と対外開放を柱とする一連の経済改革は、それなりの効果を表した。92年から96年までの5年間の経済成長率が年率7.2%を示し、各セクターでの民間部門が拡大していることはこれを裏付けている。さらに対外開放によって、98年末までに280件、70億ドルの民間外資の進出があった。こうした順調な経済発展は明らかに経済改革の効果であり、ミャンマー国民にとってこの発展は、「ビルマ式社会主義」が導入された1962年以来実に30年振りのことである。92年以降、民間投資の規制緩和によって新しいビジネス・チャンスが拡大して、多くの民間企業が設立され、財閥の創始ともいえる有力なビジネス・グループも十指を越える。したがって、雇傭機会も大幅に増えた。また国境貿易を中心に外国貿易も順調に拡大し、国内のモノ不足は解消され、かっての闇市や密輸に依存したアブノーマルな経済から脱却した。少なくとも96年までのこうした経済回復は、国民の軍政への評価を多少高めることにもなったし、政治的関心よりも経済発展に乗り遅れまいという雰囲気を造り出した。

しかし、96年を契機にミャンマー経済にとって不幸な事態が続いて、一転経済発展は失速し、経済改革のペースが大幅に落ち込んでいく。第一に、92年度から4年間で年率平均8.6%と高い増産を続けていた主力の稲作が、三年続きの天候不順によって96年度からは減産、停滞を繰り返したことである。97年度以降はさらに政府の外貨不足による化学肥料の供給不足も加わって農業生産全体が低調となった。第二に、ODAの停止による影響が徐々に財政難を締め付ける形で効いてきたことである。88年度の軍政発足以来、中国からの無利子借款と日本からの債務救済無償と若干の人道援助などの経済援助は供与されたが前政権時に供与された援助の十分の一程度に過ぎない。軍政は先進国からの経済援助に頼る事なく積極的な公共投資を続けてきたが、次第に財政を圧迫し投資の拡大はほぼ不可能になった。第三に、97年からのアジア諸国の経済危機からの影響である。97年7月、ミャンマーがASEANに加盟した直前にタイのバーツ貨切り下げを契機としたアジアの通貨危機その後の経済危機からの影響は甚大であった。ASEAN諸国からの民間投資は停滞し、好調だった貿易も大幅に後退した。97年度までに70億ドルに達していた直接投資のうち、55%を占めていたASEANからの投資は98年度を通じてわずかに0.6億ドルにとどまった。ミャンマーにとってもっとも深刻なことは、98年7月に創業開始したヤダナ・ガス田からパイプラインによるタイへの天然ガス輸出がタイ側の不況による需要落ち込みによって、10%程度の送ガスにとどまって、期待した外貨収入を得られないでいることである。また国境貿易も停滞している。
ペースダウンの経済改革
ミャンマー経済は96年度6.4%を示した後、97年度、98年度の2年続きで4%台にまで後退し、輸出の伸悩み、直接投資の激減で外貨不足が急速に深刻化した。アジア通貨危機からの直接的影響は、ミャンマーの通貨の国際性が低いことからそれほど大きなものではなかったが、それでもチャットは一時期50%もの下落を示した。その後も外貨の不足によってチャット貨の下落傾向が続き97年末には1ドル=380チャット(実勢レート)まで下落した。98年に入って政府が為替規制を強化したため320〜40チャットで落ち着いているが、チャット貨の下落は物価の高騰の原因のひとつとなっている。

98年以降の経済不振は、それまで順調に進められてきた経済改革のペースを大幅に遅らせることにもなっている。すなわち、民間外貨、貿易の不振は政府の外貨準備を急減させたため各場面で規制の強化を行わざるを得なくなった輸入制限の強化、外国送金規制、外貨の集中管理、輸出産品の国家管理の拡大、輸出税対象品目の拡大、対外債務の返済延期等の措置がとられた。輸入規制は、一般貿易、国境貿易ともに品目規制が実施され、エクスポート・ファースト(輸出優先策)が導入された。これは97年7月に実施されたもので、「輸出による外貨獲得の裏付けの無い輸入」は原則として禁止するというもの。また嗜好品や加工食品等九品目の輸入が禁止され、輸入の増加傾向に歯止めがかかった。しかし、他方輸出税品目の拡大や、輸出品に対する所得税(全品目2%)の賦課、国境貿易のドル決済の義務化と輸出額に対する10%(現在は8%)の手数料導入、さらに全輸出産品への8%商業税の賦課など、むしろ輸出規制とも取れる措置により、輸出も伸び悩んでいる。また、一企業1ヶ月当たり5万ドルの海外送金規制はとくに外貨企業にとって大きな悩みである。こうした規制と国家管理の強化・拡大は外貨不足という危機的状況を回避するための緊急的一時的措置であることは理解できるが、市場経済化と対外開放の路線から逸脱しているもので、経済改革の後退と受け取られても仕方ない。これらの措置は民間外貨にとって投資意欲を減退させ、アジア危機からの影響で海外からの直接投資が減少しているなかで、すでに投資をし、操業している企業にとっても少なからず障害になっている。
外国直接投資認可額
〔出所〕Myanmar Investiment Comissionより
<<業種別>>
(単位:100万ドル)

1996/97年末累計 1997/98年 1998(4-11月) 98年11月末累計
農業 9 5 0 14
漁業 270 6 4 280
鉱業 498 3 5 506
石油・ガス 2,131 172 0 2,303
製造業 1,117 319 25 1,461
運輸・通信 169 107 0 276
ホテル・観光 763 40 236 1,039
不動産開発 875 122 0 997
工業団地 193 0 0 193
建設 17 0 0 17
その他 10 3 1 14
合計 6,052 777 271 7,100

<<国別>>
(単位:100万ドル)

1996/97年末累計 1997/98年 1998(4-11月) 98年11月末累計
シンガポール 1,207 138 168 1,501
英国 1,303 25 27 1,356
タイ 1,035 130 80 1,245
マレーシア 462 125 0 687
米国 582 0 0 582
フランス 470 0 0 470
オランダ 238 0 0 238
インドネシア 211 25 1 237
日本 193 27 3 223
フィリピン 7 140 0 147
香港 66 57 2 125
韓国 70 30 0 100
オーストラリア 40 42 0 82
カナダ 33 5 0 38
中国 29 0 3 32
その他 115 33 0 138
合計 6,052 777 271 7,100
苦しい国民生活
92年以降の順調な経済発展は、確かに国民生活の向上をもたらした。26年間の「ビルマ式社会主義」体制下では見られなかった民間部門の活性化と拡大は、豊富な物資流通と雇傭機会の増大をもたらし、多くのビジネス・チャンスを創出した。NLDが圧勝した90年の状況とは一変している。したがって、当然国民の政治的意識も大きく変わっていることは充分考えられる。98年後半頃から、スーチー女史の頑なな政治姿勢に嫌気して多くのNLD党員が脱退していることもこれを裏付けているのではないか。もっとも、この大量の脱退劇の裏には軍政側の干渉もあるとの見方もあるが、少なくとも90年当時のNLD党員や支持者達の置かれた状況と今日では大きな違いがあることは事実である。

経済発展は国民の軍政への一定の評価を生んだことは否定できない。しかし、97年からの経済危機と経済改革の後退はこうした国民の軍政への評価を変え、次第に不信感を募らせていることも事実である。第一に、一向に収まらぬ物価高騰への不満である。92年から97年までの一般消費者物価は、年率平均26.4%と高水準であった。しかし、少なくとも95年までの好調な発展のために国民は、多少の物価高は容認することが出来た。雇傭機会の増大やビジネス・チャンスの拡大が物価高を相殺していたし、豊富な物資流通を歓迎していた。ところが97年以降の経済停滞のなかでも物価の高騰はさらに激しくなっている。97年7月から98年12月までのわずか一年半のヤンゴンの一般消費者物価指数は67.4ポイントもの上昇を示した。とくに国民大衆にもっとも大きく影響する食料が同期70.5ポイントもの上昇であったことは、国民生活への圧迫が厳しさを増していることを窺わせる。ちなみにこの間のコメの消費者価格はほぼ二倍の値上がりであった。第二に、失業の増加である。92年以降の民間部門の活発化と拡大は新規の雇傭機会を創出し、民間部門での新規の起業が続出した。民間企業の登録数は、1990年度の四、655企業から1996年度には3倍弱の12,819企業に増加している。この間に新しく創出された雇用は、民間部門だけで120万人と推計されている。しかし、雇用増加は97年度以降急速にペースダウンし、休眠企業や操業を停止した企業さらには民間外資系企業の撤退や事務所閉鎖などが増加し、失業の増加を招いている。96年末から全国の大学が閉鎖されたままの状態で、しかも雇傭機会を奪われている若者たちの不満が鬱積しはじめていることが懸念される。第三に、規制の強化による不満である。市場経済化と対外開放は96年までに順調に進展したことにより、将来への可能性を含めて多くの民間企業が新規に参入した。それは、さらなる自由化を前提とした経済改革の進展を期待したからである。もちろん外資系企業のなかにも先行投資的に進出してきた企業も少なくない。こうしたなかでの一連の規制強化はこれらの民間企業の投資意欲を減退させ、一定の評価を与えていた企業界でさえも軍政に対する不満が増加しつつある。

こうした現下の経済苦況は、これまで頼りにしてきた周辺ASEAN諸国の経済危機によって引き起こされたもので、すべてが軍政の失政によるものではない。市場経済化を進める開発途上国には本来、先進国からの積極的な経済援助が供与されるはずであるが、ミャンマーの場合、この点でも今のところ先進国からら見放されており、危機は自らの努力で乗り越えなければならないハンディを背負っている。経済改革の多少の後退は仕方のないことである。しかし、問題は国民がこの苦況の背景を理解し、耐えることができるかどうかである。ここ数年の軍政の経済改革による舵取りは、政治の安定という側面からも重要な段階にある。
基礎経済指標

88年度 89年度 90年度 91年度 92年度 93年度 94年度 95年度 96年度 97年度
人口
(百万人)
39.84 40.60 41.35 41.55 42.33 43.12 43.92 45.11 45.92 46.40
実質GDP成長率(%) −11.4 3.7 2.8 −0.7 9.7 6.0 7.5 6.9 6.4 4.6
投資率(%) 12.8 9.2 13.4 15.3 13.5 12.4 12.4 14.2 12.3 11.1
貯蓄率(%) 11.1 8.8 11.7 14.0 12.8 11.4 11.7 13.4 11.5 10.4
消費者物価上昇率(%) 16.0 27.2 17.8 32.3 21.9 31.8 24.1 25.2 16.3 29.7
財政収支
(対GDP比:%)
−8.3 −5.4 −7.4 −6.6 −4.8 −4.3 −6.3 −6.4 −6.5 −6.1
輸出伸び率
(%:チャット建て)
31.0 30.7 4.2 −0.9 22.7 17.8 27.8 −6.9 9.0 7.9
輸入伸び率
(%:チャット建て)
−15.3 −1.4 62.7 −3.4 0.5 47.7 5.2 23.6 14.3 17.7
貿易収支
(対GDP:%)
−1.7 −0.4 −1.7 −1.3 −0.7 −1.0 −0.6 −0.9 −0.8 −0.7
経常収支
(対GDP:%)
−1.4 −0.2 −1.9 −1.0 −0.5 −0.2 −0.2 −0.4 −0.3 −0.3
為替レート
(対ドル期中平均値)
6,395 6,705 6,339 6,284 6,105 6,157 5,975 5,667 5,918 6,242
外貨準備高
(百万ドル)
127.4 468.9 315.0 272.2 308.8 345.2 534.0 504.3 207.3 261.3
対外債務残高(百万ドル) 4431.5 4190.8 4694.8 4874.5 5354.8 5756.6 6555.2 5770.5 5184.3 NA
(出所) IMF, "International Financial Statistics"
Ministry of National Planning and Economic Development, "Review of the Financial, Economic and Social conditions"
ODA無しでの発展は難しい
貿易、投資いずれもミャンマーのASEAN諸国への依存はきわめて大きいために、ミャンマー経済の再興はいまのところ、ASEAN諸国の経済回復の如何にかかっているといっても過言ではない。ASEAN諸国に対するIMFなどの金融支援、さらに日本からの300億ドルに上る特別円借款などASEAN諸国へのテコ入れは進んでいる。これらの効果はやがて表面化し、アジア経済は再びダイナミズムを取り戻すだろう。

アジア経済のダイナミズムは、間違いなくミャンマーをも経済発展の軌道に導くことになるが、問題はそれまでミャンマーが現体制のもとで安定的な政治・社会状況を保っていけるかどうかである。ミャンマーに政治混乱を再発させないためには、これ以上の経済困難を広げないことである。そのためには民間投資、海外からの民間直接投資および貿易の活発化と拡大が至上命題である。とくに電力不足は重大な投資のネックになっており、首都ヤンゴンでさえ、停電が日常化している状況では投資の促進は望めない。第二に、二重為替の問題の解決が必要である。すでに多くの場面では、実勢ないしは特別レート(輸入レートなど)の適用が行われているが、資産・資本評価、国有企業の決済、債務返済などにはいまでも公定レートが適用されており、異常な為替状況が続いている。第三に、97年以降の一連の規制強化の撤廃、緩和が必要である。これはすに指摘したように一時的・緊急避難措置であろうが、貿易、投資の拡大を阻害していることは明白である。いずれにせよ、これらの対応を本格的に実施するためには、もはや外貨の調達手段としてのODAの再開しか残されていない。ミャンマーへのODA再開が実現しないのは、「軍政」で、「民主化が遅れている」、「人権状況が改善されていない」という理由が日本政府などから指摘されている。ミャンマーの場合、少なくとも今日の状況では「軍政」と「民主化」という問題はけっして相反するものではない。「民主化」をめぐって軍政とNLDが対立しているのであり、両者が妥協することがもっとも望ましい解決方法である。しかし、スーチー女史のNLDは、軍政そのものを否定しているため、今のところ妥協はほとんど不可能である。経済が悪化し、社会的混乱が起こればますます妥協の余地はなくなるだろう。混乱を防ぐためにも、ODAが再開され、経済を発展軌道に戻し、両者が現実的な対応で歩み寄ることこそ重要であると考える。ただし、軍政としても経済再興のためにODAが必要と認めるなら、とりわけ日本のODA再開への道筋をつけるためには、将来への「民主化」体制確立のための確固としたプロセスを明示し、「憲法制定国民会議」の早期再開、さらには大学教育の再開などを実施すべきと考える。
(筆者は大阪産業大学経済学部教授)

トップページ